旅行記 第20回 『初春の水戸 日帰り旅行』 (その2) [旅行記]

『初春の水戸 日帰り旅行』(その1)⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e39e984e9c6142c4b96185b8fee3127a  



「偕楽園好文亭(こうぶんてい)」三階の「楽寿楼」からの景観を満喫し、「偕楽園前駅」の駐車場に戻ります。



次の目的地、「水戸駅」の北に位置する「水戸城址」へ向います[車(RV)]



「日本100名城」⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/3adfccbb6d4f30113aaba407d0f42297 の第14番「水戸城」は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城です。



大規模な土塁とともに、城西側の台地には五重の堀、東の低地には三重の堀をめぐらし、堅固に守られていました。



坂道を上がった先にあるのが、「茨城県立水戸第三高等学校」。校舎を取り囲む塀が、歴史的建造物の様な雰囲気を醸し出しています。


DSC_0021.JPG



車を停め、本丸址に建つ「県立水戸第一高等学校」へ向かう橋を渡ります。深さ20mにおよぶ堀跡には、JR「水郡線」の線路が走っています。


DSC_0027.JPG



「一高」の敷地内に移築されたのが「水戸城薬医門」。この門は、旧水戸城二の丸に入る「不開門(あかずもん)」といわれていましたが、その後の調査の結果、本丸から二の丸に通じる橋詰門(はしづめもん)と一致していることが判明し、この門ではないかと推測されています。


DSC_0026.JPG



この門の建築的特徴は、正面の軒が深く風格のある門構えとなっています。建築年代は、その様式から安土桃山時代末期と思われます。



「一高」から水戸藩の藩校「弘道館(こうどうかん)」までは、一直線の道路ですが、現在は「水戸城大手門」の復元工事中の為、車は大きく迂回して、「弘道館」の駐車場に向います。



車を停めて、「大手橋」を徒歩で渡ります。


DSC_0033.JPG



ここの堀跡は、道路になっています。


DSC_0028.JPG



橋を渡った先にあるのが、「茨城大学教育学部附属小学校」。この小学校の構も、歴史的な建造物の様です。


DSC_0029.JPG



同小の反対側にある「水戸市立第二中学校」の敷地内には、「大日本史編纂の地」の碑が置かれています。


DSC_0032.JPG



水戸の小・中・高は、どこも歴史を感じさせる構ですね。



再び「大手橋」を渡り、「弘道館」へ。「弘道館」は、水戸藩第九代藩主斉昭(烈公)が、天保12年(1841)に藩士とその師弟の教育のために設立した藩校です。



入館料は、150円。弘道館料金所窓口には、「日本100名城」のスタンプが設置されています。


11011101.JPG



隊長が、100名城の内、登城したことがあるのは、17城です。詳細は、こちらをご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/94b560090f0c90ce702887beceaacb97



重要文化財の「正門」の柱には、弾痕が。


DSC_0034.JPG


DSC_0039.JPG



これは、水戸藩の藩内抗争の最後の激戦といわれる明治元年(1868)の弘道館の戦いのときの弾痕です。



同じく重要文化財の「正庁・至善堂」。


DSC_0038.JPG



庭の梅も見事に咲いています。


DSC_0035.JPG



徳川慶喜が、慶応3年(1867年)の大政奉還の後、謹慎したのが「至善堂」です。


 


★ 続きは、『初春の水戸 日帰り旅行』 (その3:最終回)で ★ 


タグ:水戸
nice!(14)  コメント(4) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。