旅行記 第16回 『初夏の弘前・青森・函館 4日間』 (その4) [旅行記]

『初夏の弘前・青森・函館 4日間』(その3)⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/a2f4a0f841aa645648421a1b82d7a104


 


【2日目:6月20日(火)】 長勝寺、弘前城、大正浪漫喫茶室を見学後に青森市へ移動。ワ・ラッセ、八甲田丸を見学。青森駅前泊。



旅の2日目の朝は、7:00に起床。この日の天気予報は、弘前市が曇り[曇り]、14~26℃。青森市も曇り[曇り]、14~24℃です。



宿泊先の[ホテル]「ルートイン弘前駅前」14Fにある大浴場に浸かり、サッパリとしました。「ルートイン」はビジネスホテルなのに、大浴場があるからよいですね。


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8時に1Fロビー脇で無料の朝食を頂きます。宿泊費が5,850円(税・サービス料込)にしては、まあまあの食事です。


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9時にホテルをチェックアウトして、JR弘前駅内にある観光案内所で、市内ガイドマップを貰いました。


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レンタカーで最初に向かったのが、市内西に位置する曹洞宗の「長勝寺(ちょうしょうじ)」。


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「長勝寺」は、大永六年(1526年)に没した大浦光信の菩提のために息子の盛信が建立しました。法名から長勝寺と号します。



最初に出迎えてくれたのが「黒門」。黒門は、長勝寺の門として最も東側に位置し、同寺の総門(表門)にあたります。


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建立年代は定かでありませんが、文献では延宝五年(1677年)以前には現在地に門はなく、貞享四年(1687年)以降の史料では現在地に門の表示があることから、この10年ほどの間に、門が作られたと思われています。



「黒門」を潜った直ぐ左にあるのが「栄螺(さざえ))堂」です。


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「栄螺堂」は、天保10年(1839年)頃、弘前の豪商中田嘉兵衛の寄進により創立された仏堂で、内部は右回りの回廊と直進階段を併用して昇降します。



東北地方では、福島県会津若松市とここの2箇所しかなく、貴重な建物となっております。



9:30に「長勝寺」に到着。


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「長勝寺」の門前には、津軽一円から集められた33の曹洞宗寺院が両側に並んでいます。禅寺が林のように立ち並んでいることから「禅林街」と呼ばれるようになったそうです。


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国重要文化財の「長勝寺三門(さんもん)」は、寛永六年(1629年)二代藩主信枚により建立されたものです。上下層とも桁行9.7メートル、梁間5.8メートルで、棟高は16.2メートルある立派な門です。


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「三門」を潜った右手にあるのが、同じく重要文化財の「嘉元鐘」。


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嘉元四年(1306年)の紀年名があるところから「嘉元の鐘」と呼ばれています。鎌倉幕府の執権だった北条貞時の寄進者と言われています。第二次世界大戦中の金属供出を免れ、今日に至ります。



文亀二年(1502年)に建築された重要文化財の「庫裡(くり)」と、慶長十六年(1610年)に造営された重要文化財の「本堂」の中に入ることが出来ます。拝観料は、300円。内部は、写真撮影禁止です。


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青森県文化財の「蒼龍窟」の内部には、五百羅漢などが鎮座しています。


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重要文化財の「霊廟」は、津軽家歴代藩主及び奥方の霊廟五塔で、江戸時代の建築です。


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お寺の職員の方が、「庫裡」の入り口から、「霊廟」まで案内してくれました。



10:30に「長勝寺」を出発[車(セダン)]して、次の目的地「弘前城」に向かいます。


 


★ 続きは、『初夏の弘前・青森・函館 4日間』 (その5)で ★


 


 


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